IMITATIONGIRL

冷やし更新はじめました。

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デパートの地価も揺れる

もうすぐバレンタインですね。

ところでバレンタインって何の日でしたっけ。きっと土曜の丑の日とか春の七草みたいに、
「春はもうすぐ!最後の寒さを乗り切るためにみんなでチョコレート食べて栄養つけようね!」
とかっていう由来があるんだろうなー。そうでもなかったら、この時期に店頭に並ぶチョコレートの量が説明できないもんね。実際、雪山で遭難してチョコレートで助かったって話も聞くし。


というわけでちょっと調べてみました。


そもそもチョコレートの発祥は戦国時代にまで遡り、伊達政宗の父・伊達輝宗(1544-1585)の治下にあった陸奥において、農民たちが冬の寒さと飢えをしのぐためのに自家生産を始めた保存食・「乳余子冷糖」(ちよこれいとう、夏の時期に酪農で余った牛の乳を用いたためこう呼ばれた)がルーツと言われています。江戸時代にもなると陸奥における酪農業の衰退も相まって貴重品となり、将軍家御用達の滋養食、そして時には精力剤として珍重されるようになったため、農民の間では「乳余子作らば二代困らず」と言われるほど高値で取引されたのだとか。

※余談になりますが、たまたま江戸時代まで酪農を続けていた陸奥の集落は乳余子冷糖の上納によって幕府から手厚く保護されたために栄え、それゆえ乳余子冷糖は農民の間では縁起モノとされていたそうです。今では一般的な「ちよこ」という女の子の名前も元は乳余子冷糖にあやかって名づけられるようになったものなんだとか。勉強になりますね。


で、バレンタインという風習ができたのは江戸幕府9代目将軍・徳川家重(1712-1761)の時代の話になります。生来の脳性麻痺・言語障害や、度を越した猿楽(能)への耽溺によってイマイチ将軍としての権威を振るえなかった家重の様子を見た関東の諸武家は、これを好機と見て隠密に結束し、家系や藩を超えた「馬連隊(ばれんたい)」と呼ばれる特殊部隊のような武装集団を結成し、倒幕を画策したのです。

んで、馬連隊による倒幕テロ決行の日が2月14日でした。強固な江戸城の守りを相手に自殺行為とも言える攻撃に挑んだ切り込み部隊・「胤(いん)」の青年たちは、貴重品であった乳余子冷糖を出陣の直前にひとつずつ受け取り、涙を流しながら食べたそうです。そして彼らは難攻不落の江戸城めがけて勇敢に突進し、一人残らずその若い命を落としました。

馬連隊の乱はあえなく鎮圧されましたが、馬連隊「胤」の青年たちの勇敢で美しいストーリーは民衆の畏敬を集め、彼らの勇気を讃えて2月14日に乳余子冷糖を神前に供え、また自分たちも乳余子冷糖を食べることで春までの滋養を蓄えることを目的としたお祭り「場連隊胤祭(ばれんたいいんさい)」が全国で行われるようになったのだとか。現在2月14日を中心としたこの時期にチョコを作ったり食べたりする風習(俗に言うバレンタイン)は、この名残りなんだそうです。

《出典・参考》
wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%98%98

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天からザッハトルテ

内定先に用事があって先日二泊三日の短い帰省をしていたんですが、用事が済んだ際に折りよく同じ静岡市内で仕事を終えて時間の空いていた古い付き合いの女の子とランチto街ブラという定番デートコースを巡る次第になったわけですが、まあ女の子っていうか母(52)なんですけどね。

それで静岡に初進出して話題になったパルコに行く事になって、母曰く「だって若い人(つまり俺とか姉)と一緒じゃないいと入れないんだも~んo (>∀<)o」。はしゃぐ母。ママンかわいいよママン。っていうのはどうでもよくて、こうやって見てると改めて女子の服は安くて可愛いのがたくさんあって羨ましいナァ。なにせインナーとかだったらすげぇ可愛くてデザイン凝ってるのに3000円とか2000円とか、さらにそこからセールで30%オフとか50%オフとか平気でやりやがる。デフレ。超デフレ。対して、ワンフロアだけ用意された男モノ売り場に入っている店と言えば、タケオ某だの、アバ某だの、トミー某だの定番ブランドばかりで全体的に異様に高い。あっ、このライダースっぽい白ジャケット超かっけぇ!50%オフとか超買いじゃんとか思って値札見てみると元値6万とか死んじゃえばいいのにね!半値でも高いとかどういうこっちゃねん。

ああ俺だって女の子に生まれたら安く、たまに高く、賢く可愛くオシャレを楽しむキャンディーガールになっていたのだろうになあ。「買っちゃった!冬の本気色コスメ☆」とか言ってはしゃいでみたりしたいのだ。恨むべくは性別。悲しきかな男のファッション産業。端的に言えばちんちん。(色んな意味で)

そんなこんなで結局テーシャツひとつ買うこともなく、NINのリミックスアルバムだけ購入して(まあこれは非常によい出来だった)翌日新幹線で帰京、男子ファッション産業における需給曲線の交点の高さを恨んで枕を涙で濡らしながら眠りについたのでした。


と、翌朝起きてみると黒かったはずの俺の枕がピンク。ベッドもピンク。ハテ、酒に飲まれてゆきずりの女子の家で一晩明かしたか、とも思ってみたけれども、そもそも俺にそんな甲斐性がありゃあもうちょっとキラキラした大学生活を送っていたさ。つうかここどこだ。ふと気づくと正座の状態から両脚をペタリと横にずらした「女の子座り」で自然に座ってる俺きめぇ!ってなって頭が冴えて来ると視界の両端に見える明るい色の長い髪の毛と、さらに視界の下にチラつくパジャマの盛り上がり、これはおっぱいではなかろうか。ぷにぽよーん。うむ、まさにこれはおっぱい。ってええ?焦ってドタドタと部屋の隅にあった姿見に全身を映すと俺美少女。ワーオ。漫画的お約束メソッドな反応として、恐る恐るぱんつの中をまさぐってみるけど加減とかわかんなくてらめぇっ!成程こりゃあデリケートなゾーンだわ。次に彼女ができたときはもっと大事にしないとダメだね、心も身体も。とか妙にしみじみ考えちゃったけど自分が女の子なんだから世話ねぇわなってアホか。どうすんのこれ。どうしちゃったのこれ。

状況が唐突すぎて逆に結構冷静になってくる俺。とりあえず、この手の創作にありがちな展開としては魂が入れ替わっちゃった系ですよね?女の子と男の子が曲がり角でぶつかってドシーン!アイテテ・・・あれっ?俺がお前でお前が俺で?っていう。まあ今回の場合に限って言えば、僕はこの鏡に映る若干お姉系な女の子には全く面識ないんですけど。ともかく『入れ替わり系』の文脈で考えるんなら、この身体の持ち主である女の子は今頃阿佐ヶ谷のきったない部屋で奇声を上げているところだろうか。ん?待てよ、見られたらハズい!いろいろハズいよ!すっごいハズいよ!それは置いといても、とりあえずは入れ替わった者同士が顔を合わさないことにはどうにもならん。それで何とかこの入れ替わりが解決して、「あたしたち・・・もう他人じゃいられないよね?」なんて、そんなとこから始まる恋もあるかもしれん。ねぇよ。

考えてもラチがあかんので、阿佐ヶ谷の自宅に向かう準備をする。心苦しいが見知らぬ女子の箪笥を漁らせて頂いて、よくわからんので適当に服を着る。ミニスカートを履く。スースーしてキモい。つうかここはどの辺だろう?都外だったらめんどくせぇなあ。ケータイとサイフを見つけて、またまた心苦しいが情報収集する。サイフの中の定期券は聖蹟桜ヶ丘→新宿。よかった、割と近場だ。ケータイのプロフィールからは「野上まなみ、1988年7月16日生、A 型、云々」と多大な個人情報が流出した。ごめんねまなみちゃん。

サイフとケータイを、昨日帰ってからそのままって感じに置いてあったバッグに入れて、黒くてピカピカしたブーツに脚を突っ込んでジッパー上げて、やたらセキュリティのしっかりしたアパートを出る。しばらく彷徨って聖蹟桜ヶ丘駅を見つけてホッとする。阿佐ヶ谷までは乗り換え含めて一時間弱、本当に近くでよかった。で、四年間住み慣れたショボいアパートの103号室のベルをチントーン♪他人の視点で自分の姿を見るという気味の悪い予感に恐れ戦きつつ、家主すなわち僕の姿をしたまなみちゃんが出てくるのを待つ。出て来いまなみちゃん!あそこの棚のあそこの引き出しの中は決して見ちゃだめだ!チントーン。チントーン。出ねぇ。と、そこに見慣れた大家登場!なんだかホッとして大家さん、と言いかけるけども、あぁ俺は今大家が知る由もない女の子だった。猜疑心のこもった目を向ける大家。「あなた誰?そこ空き部屋よ」 ・・・・・・へ?「あの・・・ここに山田って男の人住んでませんか」「だから空き部屋だって言ってるじゃないの。もう3年前から。しつこいと警察呼ぶわよ」ぎゃあ。

アパートから走り去り、公園のベンチで試しに自分の携帯に電話。曰く、お掛けになった電話番号は現在、以下略。実家の番号に掛けるとカタコトの日本語をしゃべるフィリピーナらしき女の子が出て凄い早口で怒られる。アタシイソガシイノヨー!すいません。ツーツーツー。・・・・・・なんてこった。町並みも大家のキャラも、全部いつも通りなだけに自分の存在が完璧に否定されたようで余計に打ちひしがれた気分になる。あてもなく歩く自分の、コツコツというブーツの音が虚しい。これは一体どうしたことか。てっきり漫画通りの筋書きで二人の男女の魂が入れ替わったものかと思っていたがそうでもなさそうだ。俺の記憶は過去に遡れるのに俺がいない・・・・・・じゃあ、聖蹟桜ヶ丘から新宿へ毎日通学だか通勤だかしているお姉系美少女のまなみちゃんはどこへ行った。

この辺をうろうろして大家に見つかっては面倒なので新宿まで出る。どうにも腹が減ったので仕方ないからまなみちゃんのお金を使って西口のシズラーで昼飯を食い、男性スタッフからの扱いがやたら丁重なのに苦笑して、食後のコーヒーを4杯もおかわりしてぐるぐると同じ思考の堂々巡りをする。ハテどうしよう。気づけば外も暗くなってしまったので店を後にして、ネット経由でどうにか連絡のつく人を探すためネットカフェに行くことを思いついて東口方面へ・・・・・・と思って歩いていたら大ガード下で後から凄い力で肩を掴まれてぎゃー!振り向くとベルサーチのスーツを羽織ったスジモノ風の大男が立っていて内心もう一度ぎゃー!なんだけど声が出ない。俺っつうかあたしはこのまま黒塗りのベンツに連れ込まれてヤクザの若頭のおんな、妻と書いておんなにされてしまうのかしら。はたまた誘拐?レイプ?掴まれた手を振り払おうにも圧倒的な筋力の差。相変わらずビビッて声が出ない。こえー。男こえー。まなみピーンチ!

「・・・・・・あんた、『変わっちゃった』人だね?」男が言う。はい?誰だよ。怖ぇよ。「まあ落ち着け、お嬢ちゃん、だったのかはよく知らねぇが、ともかくあんた、気づいたら自分じゃなくなっちまってたんだろ?」ええ、なんで知ってんの。「ともかく、ここじゃあちょっとアレだ。あっちに車止めてあるから乗れ。」

うっわ怖えぇ!でも仕方ないのでとりあえず着いていくことにする。なんか事情知ってるくさいし、下手に逃げたり抵抗しても後が怖い。ちょっと歩いたところに路駐してあったデミオ(意外と可愛い車乗ってんのね)の助手席に乗らされ、青梅街道を経由してどうやら環七沿いに走っているらしいことに気づいたあたりで男が口を開く。「状況がわかってないと思うから一から説明するわ。ちょっと難しい話になるけどな」はぁ。どうぞ。「この世界ってのはご存知の通り、一定量の原子の組み合わせで成り立ってる。石ころから人間様まで同じく、な。だけども地球に生物が生まれて、知能を持ち合わせるようになると、宇宙に今まで増えるはずのなかったモノが増加するようになった。何だかわかるか?」「さぁ。」男が質問口調になって初めて口をきく、俺ことまなみちゃん。ガンバレ。

「『情報』だよ。全ての原子の位置・状態だってもちろん情報だが、それに加えて生物の脳の記憶、人間が生み出した文字情報、電子情報なんかが、爆発的に増加するようになったってわけだ。」

「でもそれだって、脳にしろ文字にしろ、結局は情報だって原子の在りようで記録されるわけでしょ?別に新しくモノが生成されたわけじゃなくない?」

「お、食いついてきたな?しかし嬢ちゃん、それが人間の科学の限界だ。脳や文字なんかの情報ってのはどこかに蓄積されている限り、それを読み取る者によって認識されることができるだろ?その記録の方法がどんな原子の配列によってだろうと、それは情報が何に書き込まれてるかっていうレベルの問題で、それとは別に情報の『質量』みたいなもんがあんだよ。パソコンで言う1バイト2バイト、ってのとおんなじだ。そして世界にもパソコンと同じように、情報の限界容量ってのがある。んで、それが今限界ギリギリの状態にあるってわけだ」

「よくわかんないですけど、仮に世界の情報の容量に限界があるとして、俺が朝起きたら見ず知らずの女の子になってたこととそれと何か関係があるわけ?」

「んー、つまりだな、情報が限界ギリギリのラインで絶え間なく書き換えられ続けてきた結果として、情報の書き込みの入れ違い、つまりノイズみたいなことが起きるようになっちまったわけだ。話しぶりからして、あんたは元々男だった、でもその男だった時に、女の子に生まれたらよかったなーとか何とか、考えたり話したりしてたんじゃないか?」

「まあ、本当冗談だったんですけど。」なんか俺がオカマだったみたいでちょっとハズい。

「それで、だ。そうやってあんたが冗談で考えた瞬間にたまたま『ノイズ』が生じて、その冗談が世界を構築する情報の一部として記録された。その瞬間、その記録に則って世界が部分的に再構築された・・・つまり今のあんた、女の子の姿が作り出されたってわけ」

「はぁ?わけわかんないですよ。じゃあこの、まなみちゃんって女の子は元々いなかったってこと?」

「元々は、な。でも世界の記録自体が書き換えられた今となっちゃぁ、元々いなかったのはあんたの記憶にある男のあんたの方だ。今この世界において、あんたは生まれた時から女の子で、その身体で人生を送ってきたことになる。・・・・・・人間に理解できる範囲に置き換えて説明すれば大体こんなもんだ。これ以上は人智を超えてるし、人間の言葉じゃあ言語化はまず不可能だな」

なんだかオッサン自身が人間を超えた存在だっつうのを仄めかしているような口調でムカついたけど、正直今のサイケデリックな理論は一応辻褄が合ってる。信じざるを得なさそうだ。
「・・・・・・で、オッサンは何でそんなこと知ってるわけ?俺を見つけてどうするわけ?」
「あ、俺人間じゃねえから」あぁ、やっぱそうきますか。「人間つうか厳密に言えば生物ですらない。人間に解り易い概念に言い換えればカミサマの使いってとこか」へぇ。最近のカミサマは随分物騒な部下をお持ちなんですね。「んで、俺はあんたみたいなノイズの産物、つまり間違った記録を消すために存在してるわけ。簡単に言えばあんたを、殺します。ごめんね。」

ギュウン!男が急にハンドルを切って反対車線に車を突っ込ませる。目の前にはいかにも可燃物積んでますみたいなトレーラー、つうかどう見てもガソリンのタンク引っ張ってるし《ENEOS》マークついてるし、本当に俺死んじゃうじゃん!パパァーン!ENEOSトレーラーのクラクション。助けてウルトラ出光人!と神どころかCMのキャッチフレーズに祈ってしまった俺はマヌケそのものだったけど、その0.005秒後の俺は天才だった。超冴えてた。

原子の配置によって情報が生み出されるんじゃない。情報が変われば原子の位置が、全てが変わる・・・・・・なるほど、死ぬほどよくわかったぜ、ありがとうオッサン!理論じゃなくて感覚で全てを理解した俺は、オッサンの言うとおり言語化が不可能な方法で世界の情報をちょっとだけ変えることに成功する。つまり今乗ってるデミオのハンドルの位置を右から左へ、元からそうあったように車の構造を変えて、俺は目の前に出現したハンドルを握って左へ急旋回!若干ドリフトしかけて、デミオのボディーでENEOSトレーラーのヘッドライトを粉々に割りながらもギリギリで進行方向の車線に戻る。ハリウッドか。俺すげー。

「・・・・・・成程、俺がしゃべりすぎたってわけだ」もう後悔しても遅いぜオッサン。「俺には情報を書き換える力はねぇ、お手上げだ。しかし今のお前は神と同じレベルにある。その力をどうするつもりだ?」「さあね。とりあえず、次にやることはこうだろうな。」その瞬間、俺の思った通りにボディーの幅が半分くらいになり、乗車スペースも座席縦一列になったデミオ。『ニューデミオ、斬新な前後二人乗りの細身スタイルでデビュー!』ってか。そんな昔のレースカーみたいになったデミオには、さっきまでオッサンが座っていた本来の運転席側のスペースは元々なかったことになるのでオッサンは消える。つうかそんな奴いたっけ?


・・・・・・で、そうやって『情報』、つまり世界そのものを書き換える力を得た俺は世界のアレやコレやを自分の思い通りにやりたい放題ってわけではもちろんなくて、ソクラテスの命日に生まれた(これ本当)誠実な俺は、俺の脳だけに残っていた記憶の限りに世界を再構築して、ハッと気づいたらいつもの汚ねぇ部屋の汚ねぇ布団で朝を迎えたわけです。んで、その再構築の際に、本来は目前まで迫っていた第三次世界大戦とかの危機に関する情報をうまいことやり繰りして人類滅亡とかを回避してきたので、お前らもうちょっと俺のことを大事にしたり褒めたりしてください。以上。

| 雑記 | 03:27 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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卒論(笑)

どうやら大学を卒業するにはひとつ論文を仕上げなきゃあいけないというのが定例となっているらしく、大学生とNEETがほぼ同義となっている昨今でも形式的にはそれは変わらないわけで、やれ経営学部だのキャリアデザインだの国際関係学部だのといった就職勝ち組のお洒落学部ならば例外があるけれども、非社会的なアナクロニズム街道を突っ走る文学部哲学科の学生であるところのわたくしはこの卒論という登竜門つうか頭痛のタネというか目の上のタンコブから逃れるわけにはいかねーのである。かけがえのない8単位。

しかし別に卒論を書きに大学に来たわけじゃあない。僕だって人並みにキラキラした大学生活を夢見て入学したのである。合コンとかお持ち帰りとかしてみたかったのである。それをなんだ、合コンもお持ち帰りも与えてくれずにこの大学は論文という課題を与えやがる。しかもさっさと四年で卒業しやがれと言う。なにがオレンジデイズだこの野郎。ペテン師め。これは圧制だ。だから僕は卒論を書かない。書かないという名誉に満ちたレジスタンス的行為。卒論不製作貫徹。べ、別にめんどくさくて怠けてるってわけじゃないんだからね!

大体なんだ、二万字?あほか。一文字が一円で売られる世界だったら二万も稼げるじゃねえか。二万。二万て。家建つぞ、家。都心まで40分の高級分譲住宅地に夢にまで見たマイホーム、庭付き。プール付き。地下には趣味でバーカウンターなんかも作ってみたよ!そんな我が家を見て人は「卒論御殿」と言ったりして話題になってESSEとかサライとかに載る。東海林のり子さんがレポートしに来る。僕は出世街道まっしぐらで品川の本社に移動して社運をかけた巨大プロジェクトをまかされて鬼のように働いて左ハンドルのマイカーでマイホームにマイ帰宅すると元パティシエのマイ奥さんが腕を振るった料理がテーブルいっぱいに並べられている。いつも遅くなってごめんな。いいのよあなた、お疲れさま、あたし金麦冷やして待ってたから!愛しくなってチュー。ごはんを美味しくいただいた後はもうぐっすり眠っている可愛い我が子の寝顔をこっそり見て愛しくなってほっぺにチュー。ひと風呂浴びた後は奥さんも美味しくいただいて、おやすみなさい。明日は大事なプレゼンだ。この仕事がひと段落ついたら家族で箱根へ行こう。陶芸とかしよう。

僕の朝は早い。奥さんや子供がまだ寝ているうちにゴールデンレトリバーのマイケルに餌をやり、左ハンドルのマイカーを品川まで走らせ、会社があるビルの一階のコーヒースタンドでいつもの店員の女の子に挨拶をしてマイタンブラーにブレンドを淹れてもらってアボガドの入ったサンドイッチと一緒にテイクアウトしてプロジェクトルームで朝食をとりながら今日のプレゼン資料をチェックする。よし、完璧だ。先方は10時に来る筈だからまだ余裕がある。おはようございまーすと入ってきた新卒のトモ子ちゃんに会議室の準備をお願いする。この子はいい子だ。仕事もできるし、なにより可愛いし素直だ。人事の滝口君といい感じらしいけど、寿退社はもうちょっと待ってほしいなあ。

プレゼンは完璧だった。先方の重役も大喜びでなんか気に入られたらしくて週末のクルージングに誘われる。ただこのおっさんはホモともっぱらの噂なのであって、逃げ場のない東京湾のど真ん中で処女喪失したいとは思わないのでやんわりと断る。そうだ、それに週末は箱根だ。するとついさっきまでエビス顔だった重役の表情が般若のようになってわなわなと振るえだし、顔から首から体中が真っ赤に紅潮し湯気が上がったかと思うと筋肉がモリモリと湧き上がってヴェルサーチのスーツがビリビリと張り裂けて巨大化した。重役の頭がぶつかった天井が砕けて上の階の旅行会社の受付のお姉さんが落下してくる。お姉さんのパンツが見えたかと思うとギャッと叫び声が上がってお姉さんを巨大化した重役が踏み潰してこっちに向かってくる。やめろ、やめてくれ、僕にはマイカーとマイホームとマイバーカウンターとマイレトリバーとマイ奥さんとマイ我が子とマイ箱根が、ドカッ。バキッ。僕は死んだ。スイーツ(笑)

| 雑記 | 10:37 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑

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文系エレクトロニカ

時代は文系。文系エレクトロニカ。これ。
つうもの、今夏改めてベルリン産エレポップLali Punaにハマったのと、フジロックにも来たThe Bird And The Beeなんかが活躍してくれたのとで、その繋がりで踊れない電子音を模索し始めたのがキッカケ。

まずやばいのがPsapp。和む。超なごむ。ナゴムレコード。

《Hi》

あとこれ。Hanne Hukkelberg。

《A Cheater's Armoury》

そして冒頭にも書いたLali Puna。これは鉄板です。

《Micronomic》


なんかアレですねコーヒーとスコーンで部屋でくつろぎながら聴きたい音楽群。

名づけて「スコーントロニカ」。




だめ?

| MUSIC | 05:48 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑

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幸田文『流れる』

 幸田文、あの幸田露伴を父に持つ戦後文学界のサラブレッド・・・・・・という肩書きはさておいて、氏の作品群が今日においても賞賛をもって文庫コーナーに迎えられる理由が十二分に納得いった一冊だった。

流れる 流れる
幸田 文 (1957/12)
新潮社
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 平安文学の観察眼をもって、戦後復興期の小汚い、生活臭い人間関係を綴った作品とでも言おうか。主人公・梨花は基本的に観察者に徹しているし、読者は、自ずとこの冷静で賢くそれでいてどこか人間臭い女中の観察眼を借りて花柳界の覗眼鏡を見ることになる。文庫版解説にもあるように『流れる』では擬声語が多用され、その描写は多分に《感覚的》である。感覚・・・・・・女の勘、という言葉があるように鋭い感覚というのは女性の専売特許であって、しかし感覚的であるということが実証的・経験的な観察眼や論理的思考――即ち《男性的》な思考――に比べて精確さ的確さを欠くという見識は見当はずれである。

 我々ヒトの世界は、人文理数を問わず科学という基礎に則って世界を噛み砕いて部分的に再構築あるいは増築を繰り返すことで成り立っているが、男たちが積み上げたこの科学そのものの方法論とは、詰まるところ感覚的なものの排除である。なぜ男たちは科学を構築するにあたって感覚を切り捨てたか?それはおそらく、自分たち人間の雄に備わった感覚の絶対的な弱さ、頼りなさを知っていたからではなかったか。つまり男たちは自らの感覚の未発達をフォローするかたちで世界を分析し、統計を立て、物差しをつくり、設計図を書いて色々と世界をこねくり回し――その結果が諸科学であり今日の社会システムではないだろうか。極端に言えば、男は何か目盛りがないとモノの優劣すら判断できない。また、数式や文法といった机上で扱うことのできる漠とした世界の仕組みに対しては理屈っぽいくせに、人間の生そのものに関わる現実に対峙するなりファナティックな感傷に浸りがちだから始末が悪い。それは戦中戦後というカタルシスに彩られた昭和の男性文学界を眺めてみれば火を見るより明らかである。太宰はどうだったか?三島は、安吾は?感覚の受容体の容積の小ささ故の逃避、ユートピアの創造・・・・・・筋肉に裏打ちされない人間の雄というのは実に頼りない。

 つまり先に述べた「流れる」における《感覚的》というのは、じめじめとした感情・感傷による観察ということではなく、快・不快以降のコマゴマした感情に浸るより先に現実に対峙し、受容し、嗅覚によって素早く選り分ける力強さという意味での《感覚的》である。その故に、この賢い観察者・梨花を一人称に近い視点で主人公に持ってきた「流れる」という作品は、女流作家幸田文によって書かれるべくして書かれた作品だと言えるかもしれない。女性の徹底した観察眼というやつは、日常を綴ったものを千年に渡って読み継がれる日記文学にまでしてしまうのだから空恐ろしいとは言うべきか。

なるたる3-085
《pic:鬼頭摸宏『なるたる』第三巻より》

 と、そんなことをつらつら考えてしまうほど観察眼が鋭く、尚且つ現代日本文学にありがちな台詞回しの「わざとらしさ」が感じられないほど鮮度を保ったまま生き生きと文章化された作品だった。また、作品全体を通して、下手に陶酔的なメッセージ性や急なストーリー性を持たせていないというのもブンガクとして高潔でストイックな印象を受ける。総じて言えば、女性側から提示された、純文学のさらに上澄みの《純純文学(そんなものがあればの話だが)》のひとつの形と言ってもいいかもしれない。読み応えも充分、お腹いっぱいごちそうさまでした。

| 読書メモ | 12:45 | comments:1 | trackbacks:1 | TOP↑

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